2022年5月29日 第五聖日伝道礼拝「輝くいのち」使徒3:1-10 中村和司師

2022年5月29日 第五聖日伝道礼拝「輝くいのち」              中村和司師
<使徒3:1-10>        
1 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。2 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。3 彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。4 ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。5 その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」7 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、8 躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。9 民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。10 彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。

105歳まで生涯現役の医者として人々に寄り添われた、聖路加国際病院の日野原重明先生が、こういう言葉を残しておられます。
「鳥は、飛び方を変えることは出来ない。動物は、這い方、走り方を変えることは出来ない。しかし人間は、生き方を変えることが出来る」。
確かに鳥は、どんなに頑張っても犬のようには走れませんし、猫はジャンプできても空は飛べません。どんなに努力しても、蟹は横にしか歩けません。しかし人間は、その生きた方、人生を変えられるというのです。人間は変わる事が出来る、そういう命を頂いているというのです。人間の命というのは、変わることの出来る命であります。何故ならば、人間の命というものが、「神のかたち」にかたどられた命であって、愛である神に似るように、神との愛の交わりに生かされるために、神ご自身が「命の息」を吹き込まれたのが人間の命であると、聖書が言っているからなのです。
今日は、聖書が言う、神様からのこの素晴らしい命について、第一に「命である愛の関係」。そして第二には「無い中にこそ輝く命」。そして第三には「愛の関係を創る御手」という事を覚えたいと思います。

第一に、「命である愛の関係」という事ですが、日野原先生という方は、数えきれないほどの患者さんに寄り添って来られただけでなく、ご自身様々な苦難や弱さを通って来られた方であります。
日野原先生は牧師家庭に生まれたクリスチャンで、子供頃は赤面恐怖症、大学時には結核にかかるなど、病弱な中、激動の時代を生きて来られました。そして赤軍派が日航機を乗っ取った日本で最初のハイジャック事件「よど号事件」に巻き込まれ、人質にされて韓国で解放されるのです。更に様々な反対を越えて医療現場の改革を進められて、聖路加国際病院などで活躍されます。淀橋でも講演して下さいましたが、その時には800人以上の方々が集われました。
その日野原先生の召される直前の言葉が、「生きていくあなたへ―105歳どうしても遺したかった言葉―」という本に記されていますので、抜粋をしたいと思います。
「苦しんでこそ、初めて今の実感が出てきてくれる。やっぱり苦しみと同時に喜びが、あるんだなあ~。今日皆さんと一緒にある事は、これまで苦しかっただけに…、苦しかっただけに、報いが与えられたんだな、という思いがします。長生きをしなければね、感謝がこれほど絶大なものであるということは考えられなかったね…、何とも言えない…。聖書は『苦しみを感謝しなさい』という。若い時には、私も難しかったね…。苦しみの連続がある中で、感謝するっていうことは、異様なほど 困難ではあるけれども、にもかかわらず。このことは、『にもかかわらず』。私の人生にはいつも、『にもかかわらず』っていう『言葉』が『困難』にくっついてくる。困難にも拘らず、やっぱり感謝しなくちゃならない。
よど号の時も、家内と一緒に二人で抱き合って、これからは私達の命ではない。だから今迄以上の生き方を二人でやろうと誓った。あの時の、私達の心情。その心情は、まだまだ今でも続いて…、続いているんだな~という思いがします。」・・・
「私達の喜びを、自分の懐にだけ入れるんでなしに、この喜びをどうすれば、皆の喜びとして持ち続けることが出来るかということを、今更ながら強く感じるのです。『ああ幸せでよかったね、よかったね』って思うだけでなく、その幸せを皆と一緒に共有しようという気持ちが、今私に静かに迫ってくる…。辛かった過去に、報いるためにも、これからの生活を通して、感謝をどう形にすることが出来るか…。そう考える静かな喜びがじわじわと、私の中に生まれてくるのです。」・・・
「これまで本当に、辛かった…。でもその辛さの中に、やっぱり、本当のものが与えられた。それを、皆さんと一緒に、私は静かに考えたい…」。
105年の人生の重みのある言葉だと思います。そしてその本の帯に、こういう言葉が記されていました。「どんな苦しみの中でも、生きることは、喜びに満ちている。」とあるんです。日野原先生の一つの結論ではないかと思います。日野原先生にとって命とは、それこそ苦難では抑えられない、返って分ち合わずにおれない喜びと愛に溢れたものであったのです。
日野原先生が、淀橋で講演された時に先生が、「命というのは、どこにあると思いますか」と言っておられました。「心臓ではないですよ」というのです。そしてそれは、私達が心から他者のために生きた、その時間、他者との関係に注がれ、費やされた時間、その中にこそ命があるのですよと、そのような事を日野原先生が言っておられたのです。小さな子どもが命に輝いているのは、母との関係に生かされているからではないでしょうか。また若者は、誰かを愛するようになると輝きを増します。そして年老いても日野原先生のように、使命に生かされている人は、その輝きが失せる事がないのです。そして人間というものも、自分に囚われてしまい、自分の世界に閉じ籠って、孤立すればするほど、その人間のとして本来の命は、萎えていってしまうのではないでしょうか。
結局、人間の命というものに、最も影響を与えているのは、決して状況や環境というものではないという事なのです。その命がどういう関係を持っているか、どういう関係に生かされているか。そこに命の輝きや躍動というものがあるのではないかと思います。コロナで、誰にも会えずに閉じ籠る事が、どんなに人の命を疲弊させるでしょう。人との触れ合いに中にこそ、人の命は潤いと輝きを取り戻すのです。そればかりか、他者との繋がり、まさに出会いというものが、人生をも変えていくのです。そして他者との愛の繋がりほど、その人とその人生を最高に満たしていくものはありません。そして命は、そのような愛の繋がりの中でこそ、生まれ、育まれていくのです。
ですから進化論に騙されてはならないのです。そこでは命が、何もない所から、ひとりでに、偶然に生まれ、条件次第で消えていくのであって、愛や繋がりというものは蔑まれ、命が命でなくなっているのです。しかし聖書は、神の愛によって、愛の交わりのために創られたのが人間の命だと言っています。ですから、神の愛こそが源であり、命であり、この愛の神こそ、人間が最も出会わなければならない存在なのです。

第二には「無い中にこそ輝く命」ということですが、人間は、そのように神の愛から生まれているのですが、あのアダムとエバが神から離れて以来、人間の愛の繋がりは破れ、家族の中で殺し合いが始まり、戦争を繰返し、人との繋がりの豊かさではなしに、物の豊かさ、便利さ、華やかさのみが求められ、結局、孤立化を深めるサタンの罠に嵌ってしまっているのです。
そして今日読んで頂いた所に登場する、生まれながら足の不自由な人というのは、そのような世界で、まさに見捨てられた存在の一人でありました。しかし驚くなかれ、その人が全く癒されていくのですが、これは初代教会が誕生して、初めて弟子達によって行われた最初の奇跡であったのです。ですから非常に意味のある奇跡と言えるのですが、その癒された人というのは、信者でもありませんし、何でこの人なのと、もし人間が癒す人を選ぶとすれば、まず誰も目を留めないような人であったのです。
既に何千人という弟子達がいたでしょうし、その中には、信仰厚く、熱心でありながら、病んでいたり、障害を持っていたりする人も、それなりにいたと思われます。それらの人が癒されたのではないのです。この人は神様ではなく、お金を求めていた人であって、自分一人では生きていけない、何も出来ない人でありました。ですから毎日運んで貰い、そして物のようにそこに置かれていたのです。そして人々の宗教心のおこぼれで恵んで貰って、辛うじて生きていた人でありました。健全な体も、能力も、まともな家も、家族も、とにかく何もない人であって、しかもそのような不幸は、神に呪われているからだと蔑まれ、ですから何より持てなかったのは、自尊心ではなかったかと思います。
彼は必死で手を差し出して、憐みを乞わなければ、誰にも目止めて貰えない存在でありました。居ても居なくても変わらない、それどころかいない方がいい、喜ばれた事のない存在であったのです。ただそれでも命を持っているが故に、傷付き果てながらも必死であって、通りがかったペトロ達に施しを乞うた訳です。
すると4節「ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、『わたしたちを見なさい』と言った。」とあります。誰も目を留めない彼なのに、ペトロは目が釘付けになったようです。何故なのか。恐らくペトロがそこにかつての自分を見たからではないかと思うのです。
主イエスが十字架に向われた時、ペテロは自分の本当の姿を知ります。それはいざとなったら主イエスさえ三度も裏切るほどに、自分の事しか考えられない本当に惨めな醜い自分でありました。彼にとって、世界で一番消え去ってほしい人物こそ、自分であったのです。彼には、自分を誇れるような所も、自分が何か頼れるようなものも、一切何もなかったのです。かつてはそのような弱い自分を、薄々感じながら、だからこそ、必死になって頑張って強がっていたのが、ペトロではなかったかと思います。
何も無い故に、必死に世のものを求めて喘いでいるその男に、ペトロは自分が重なって見えたのでないでしょうか。ですからペトロは、「わたしたちを見なさい」というのです。つまり、私達も同じなんだというのです。そしてペトロは言います。6節「わたしには金や銀はない」。私達も何もないのだというのです。神殿に来ているのですから、献金のお金も何もなかったというのではありません。世が求めるような、何か誇れる、頼れるものなど、一切ない、全く無力な価値無き者なのだということです。
しかし自分達は、世の何かを最早求めてはいない。それどころか、驚くべきものを既に持っているというのです。ですからペトロは、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」と言い、更に「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と叫んだのです。
この「持っているもの」という言葉は、原文では単数形であって、ペトロは、自分は何もないが、しかしただ一つのものを持っている、と言っているのです。そして自分は、何もないからこそ、そのただ一つのものに満たされ、生かされているんだという事なのです。そしてそのただ一つのものに満たされ、溢れているからこそ、あなたにもあげる事ができるのだというのです。
お金や権力や世のものは、持てば持つほど分け与える事が出来なくなります。つまり本当には、その人を決して満たしてはいないという事なのです。そしてこの人間を満たすただ一つのものも、様々な世のものが既にその人にあったのでは、満ちる事はできないのです。ですから、「何もない」という事こそが幸いであったのです。神の御前には、何もないという、貧しさこそが祝福なのです。何もない中でこそ、神からのものが輝くのです。
インドの貧民街の溝に捨てられていた老人が、マザーテレサ達によって保護され、初めて人間として扱われ、必要とされ、尊ばれ、愛されていく時に、既に死に瀕していた方ですが、天使のような輝く笑顔で天国に召されていったそうです。何もない中でこそ、神からの命が輝くのです。

第三には「愛の関係をもたらす御手」という事を覚えたいと思います。ペトロを生かしていたただ一つのものとは何なのか。6,7節にこうあります。「『ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』そして、右手を取って彼を立ち上がらせた」とあります。ペテロは、こんな自分をも救い、生かし、満たしところの主イエスの愛と恵みの力、その権威というものを、「イエス・キリストの名」と表現したのだと思います。しかしペトロは、それだけではなくて、「そして、右手を取って彼を立ち上がらせた」とあるんですね。主イエスの名の権威、それは本来、ペトロが手を差し伸べなくても奇跡を起こせるのであり、ペトロ自身が癒すのではないのです。しかしその主イエスの名というものが、ただの権威ではない、主イエスの愛と恵みの権威、主の十字架の愛と恵みの権威であったが故に、ペトロは思わず主の御愛に押し出されて、自らの手を差し伸べたのではないかと思います。
実はペトロ自身、主イエスの御手というものの中に、神の愛と恵みを経験したのでした。ペトロはこれまで何度か、大変な危機に直面しています。
まずペトロは、ガリラヤ湖で溺れそうになった事がありました(マタイ14:22-33)。嵐の夜の湖で、湖上を歩かれる主に出会って、私もあなたの所に行かせて下さいと、主の言葉を頂いて、人類初、ペトロは水の上を歩けたんです。しかし主イエスから目を離して恐れた時に、不信仰になり沈みだします。嵐の夜に湖に沈んだら、命がない事はペトロが一番よく知っていました。しかしペトロの叫びに応えて、主がペトロの手を掴んで下さったのです。そして主の御手に握られた時に、ペテロは恐れなくなり、疑わなくなり、沈む事もなくなったのです。筆頭弟子だと自負していたペトロかも知れませんが、自分の力ではない、主イエスの愛の御手が自分を握って下さるからこそ、信じていけるのだとペトロは知るのです。
そして先に申しましたように、それでも主を三度も否んでしまった時に、ペトロは完全に打ちのめされます(ルカ22:31-34,54-62)。彼は、自分だけは死んでも従います、と豪語していたのですが、彼は結局、自分の力に頼っていたのです。しかし先週学びましたように、まさに主イエスの愛の執成し、その祈りの故に、立ち直る事が出来たのです。ペトロはこの時の、主の祈りの手、その祈り続けて下さる愛の御手が、忘れられなかったのだと思います。自分自身は全く当てにならない、しかしこの主の祈りの手があるからこそ、大丈夫なのだとペトロは知るのです。
そして、そもそもペトロが恐れたのは、自分も捕まって鞭や刑罰を受けるのではと恐れたと思いますが、当時の極刑が十字架刑でありました。そして主イエスの十字架の場面では、ヨハネは十字架の傍にいたようですが、ペトロは主を否んだ事で塞ぎ込んでいたのか、十字架刑をまともに見ることが出来ずに遠くから見ていたか、ともかく十字架の場面ではペトロの記述が全くないのです。しかしペトロの書いた、ペトロの手紙では、彼は自分の事を「キリストの受難の証人」(Ⅰペトロ5:1)と言っているのです。彼は、自分は主イエスの十字架の受難を目の当りにしていると言うのです。そしてルカ福音書を見ると、主イエスは復活された時に、ペトロに個人的に会っている事が分かります(ルカ24:34)。そして復活の主が弟子達に会った時によく行った事が、ヨハネ20:20等を見ますと、ご自身の御手とわき腹を示す事であったのです。ペトロも復活の主に出会った時に、十字架の御傷が生々しく残った御手を、目の当りにされたのではないでしょうか。そしてこの御手の御傷に現された、十字架の愛が自分を贖ったんだ。この御手の御傷によって、自分は神のものとされ、最早何ものもこの神の愛から自分を引き離す事は出来ないのだという事を、ペトロは知ったのではないでしょうか。
弱い自分を、掴んで支えて下さる主の御手。罪深い自分のために、執成し祈って下さる主に御手。恐れやすい自分を、贖い取って離さない主の御手。その主の御手にこそ、私達を救い、満たし、買い取って下さる主の驚くべき愛と恵みというものが、具体的に現わされていたのです。そしてこの主の御手に握られる、主との愛の関係。主に愛され、主のものとされる関係。これこそが私達の命、私達を満たすただ一つのものであるのです。パウロは、新しい聖書の訳ですが、「事実、キリストの愛が私たちを捕らえて離さないのです。(Ⅱコリント5:14)」と言っています。
「ハクソーリッジ」という実話を基にした映画があります。「パッション」というキリストの十字架をリアルに描いた映画と同じメル・ギブソン監督によるものです。沖縄の浦添市に前田高地という高台があって、そこは第二次大戦末期、立てこもる日本軍と米軍が死闘を繰り返した激戦地でありました。その高台に登る崖がハクソーリッジと呼ばれていたのです。
その最前線に、負傷兵を救護する衛生兵でデスモンド・ドスという人がいたのです。この人は敬虔なクリスチャンであって、「衛生兵なら、自分も国に尽くせる」と軍隊に入っていったのです。しかし彼は、元々体力はあるのですが、「汝、殺すなかれ」という御言葉の故に、銃の練習を拒否するのです。するとこんな奴は役に立たない、追い出してやれと、酷い虐めや迫害に遭います。彼は婚約もしていたのですが、結婚式にも行かしてもらえず、違反者として独房に入れられてしまい、婚約者からも考えを変えるよう迫られるのです。
しかし彼が銃に取らないのは、クリスチャンの母親の影響もあったようですが、彼が子供の頃、戦争で深く心傷付けられ、酒に溺れる父が、母親と喧嘩し乱暴を働くのを見かねて、彼は思わず銃を取り出し、銃口を父親に向けてしまった事があったのです。勿論引き金は引きませんでしたが、しかし何と恐ろしい事を自分はしてしまうところだったか、彼はその時以来、自分は二度と銃には触れませんと、神に誓ったのでした。
彼は銃の恐ろしさや自分の弱さが身に染みて、自分が自分でいるためにどうしても「自分は銃を持たない」と、神に迫られるようにして誓いを守り続けたのです。ですから婚約者にも、「これを変えて、失ってしまったら、もはや僕が僕でなくなるんだ」と言うのです。彼は結局、軍の裁判に掛けられますが、婚約者や父親の助けもあって不思議に、その主張が認めら、そして普通は衛生兵でも銃を持つのですが、彼は武器を持たない丸腰の衛生兵として、沖縄の激戦地に行くのです。
メルギブソンの映像は凄まじいもので、銃弾が飛び交い、砲弾が炸裂し、手足が吹っ飛び、腸が飛び出、生首が転がります。心臓の弱い方はちょっと見れないでしょう。しかしこれが戦場の現実でありました。そこは上辺だけの綺麗ごとなど何一つ通用しない、食うか食われるかの世界です。その修羅場に何の武器も持たないで入って行くなどという事はあり得ない、正気とは思えない行動であって、皆彼を狂人と言いました。そして部隊は、命懸けでハクソーリッジの崖を登り、高台で日本軍と死闘を繰り広げます。しかし死にもの狂いの日本軍を前に撤退せざるを得なくなり崖を降りて退却します。しかし彼は一人残るんです。そこに多くの負傷兵が取り残されていたからです。
皆、殺す為に武器を取り、生き延びる為に逃げていきました。しかし彼は、ただ救うために、丸腰で残ったんです。残忍な日本兵がうようよいる敵地のただ中に、援軍もなく残って、救護を続けたんです。無傷でおれるはずがありません。実際この人は4度ほど負傷します。しかし不思議に生き残るんです。それも人を救うとしてです。一人助けるだけでも大変ですが、一人救出して崖を降ろしたなら、「神様、もう一人救わせて下さい」と祈るんです。そして再び敵地に乗り込んでいくんです。「神様、もう一人救わせて下さい」「もう一人救わせて下さい」と彼は祈り続け、武器も何もないのに、力も限界、全てが極限状態の中で、ただ自分が神から与えられた思い、「殺すためじゃない、救うために戦うんだ」という、ただそれだけを持って敵の中に飛び込んでいくのです。そしてたった一人で何と75人の命を救うんです。彼が手当てをした中には、敵の日本兵もいました。やがて彼は帰国後、軍人に与えられる最高位の名誉勲章を受章されます。誰もが彼こそ本物の兵士だと認めたからです。
本物の戦場で、ただの衛生兵、しかも丸腰という、これほど何もない存在は無いのですが、しかしこの人ほど本物の命を持っている人はいなかったのです。彼は誰よりも、人を見捨てませんでした。誰よりも人を生かしたのです。そして戦場の誰よりも神と結ばれていたのです。彼は世の武器は何一つ持っていなかったのですが、最後まで肌身離さず持っていたのが聖書でした。彼が持っていたこの神との関係、人との関係、これこそが最も熾烈な戦場でさえ輝いた本物の命であったのです。
私達は、この人のようにはなれないかもしれません。しかし私達も、同じ輝く本物の命は持つ事が出来るのです。それは、私達のために祈り、私達を握りしめ、離さない、主イエスの愛を受け入れ、その御愛に委ね、その愛の繋がりに生かされて行く事は出来るのです。

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