4:39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
6:50 皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
<特別演奏と証メッセージ>
演奏「ガリラヤの風かおる丘で」(新聖歌40)
イースターおめでとうございます。皆様とイースター礼拝を守れることを感謝します。
私達の故郷であるガリラヤの、「ガリラヤの風かおる丘で」を演奏しました。
次はバッハの作品です。バロックの巨匠、音楽の父として、バッハの名前をご存知でない方はおられないと思います。バッハは、自分の心の暗闇を神様の光の中に差し出すように作曲をしました。と言いますのも、バッハの実質譜の余白に色々な彼の書き込みが残されています。例えば「主の御名によって」「主よ憐みたまえ」などです。しかし私が最も感動する書き込みは、曲の一番最後に必ずいつも「ソリ・デオ・グロリア」「神にこそ、栄光あれ」と書き込まれている事です。こんなに素晴らしい曲を書いたらですね、私なら、「紫園香」と自分の名前を大きく書いてハンコも押したかもしれません。でもバッハはそうしませんでした。「神様、この命も、この作曲という賜物のも、時間も、全て、あなたから頂いたものです。神様、ありがとうございます。」と全ての栄光を神様にお返しになりました。その信仰者、芸術家としての姿勢は、一生貫かれたものでした。今日お届けするのは、その作品の中でチェロのために書かれたチェロ組曲第一番一楽章プレリュードです。テレビでも時々出て来るのでもしかしたらご存知かもしれません。チェロのための曲をフルートでするのは、中々大変何なのですが、その曲の輝かしさと平安というものを皆様に味わって頂きたくて、この曲を選びました。
演奏「バッハ/無伴奏チェロ組曲第一番第一楽章プレリュード」
私は、36年前のイースターの早朝礼拝で洗礼を受けました。当時の私の人生には、喪失の嵐が吹き荒れていました。せっかく順風満帆に努力すれば、何でもできるという人生を意気揚々と歩んでおりましたけれど、三つの嵐が私を襲いました。
まず一つ目は愛する人との別れでした。この出来事で、私は本当に愛の無い、貧しい自分に突き当たって、砕かれました。二番目には、経済的な基盤を失うという嵐でした。父は、非常に優れた仕事を残した人でした。皆様がよく使っている、割れ物を包む時のプチプチのビニールシート、これを開発したのが父でした。私が小さい頃、父がよく試作品を持って帰っていましたので、私はあれをプチプチ潰して遊んでいましたが、この遊びをしたのは、世界で私が一番最初ではなかいかと、勝手に自負しております。そのような父でしたが、世の中の事情や様々な状況が重なって、ある時会社が連鎖倒産をしてしまいました。私は慣れ親しんだ家を突然でなければならなくなってしまいました。その時私はフルートと、なぜか圧力鍋をもって家を出ました。なぜ圧力鍋であったのかは、未だにわかりません。人間は追い詰められると、面白い事をすると思います。この出来事によって、当然自分のものであると思っていた、家、温かい家庭、隣近所から受ける社会的な信頼、といったものが、ある日突然簡単に失われるものだという事がわかったのです。でも元気でいれば、何とかなると思っていました。若いし、圧力鍋もあるので頑張れると思ったのです。
しかし三つ目の嵐なのですが、今度は病気になってしまったのです。主治医の説明で、「大きな手術をうけなければいけないほどで、手術後のダメージを考えると、あなたは演奏家として第一線で活躍するのは無理かもしれません」、と言われた時は、本当に目の前が真っ暗になりました。愛する人もいない、経済もゼロどころかマイナスです。これからデビューという時でした。そしてフルートさえ出来れば何とかなると思っていたところが、フルートさえ吹けなくなるかもしれない。何のための人生なのか。その時、死という文字が、頭の中をさ~と頭の中をよぎったのを今でも思い出します。考えてみますと当時の私にはとても大切な三つの、いわゆる神器がありました。それは、愛するという事も含めた「能力」、「経済的な基盤」、「健康」、この三つさえあれば、自分の人生は安泰に進んで行けると信じて疑っていませんでした。ですからそれらを得るために、ものすごい努力をしました。しかしいざとなった時には、それらはあっという間に取り去られて、何の支えにもなってくれませんでした。神様は、私が握りしめていた三つのものを、見事に取り去られたのだと思います。
私はもう何が何だか分からなくなりました。世の中が変わっても、人が変わっても、自分が変わっても絶対に変わらない真理、そういったものを信じていかないと、もう自分は一歩も歩む事が出来ない、そこまで追い詰められていました。そんな時に芸大の指導教官でありました服部先生というバッハの研究で有名な先生から、キリスト品川教会でフルート教室を始めるから、教えに行きませんか、と声を掛けて頂きました。私は喜んで引き受けました。経済的にも助かります。でもそれだけではありません。先ほど演奏させて頂いたバッハのように、素晴らしい信仰者であり、芸術家であるそういう方々を輩出し続けてきたキリスト教会というところに、昔からとても興味があったからです。そして私はフルートの講師として初めて教会に足を踏み入れた訳です。色々な導きがありました、ある日レッスンの途中で、壁に貼ってある聖書の言葉が目に留まりました。そこには神様は、私達の髪の毛の数まで全部ご存知のかたであると書いてありました。話は変わりますが、私の家での毎朝の洗面所での夫と私の会話なのですが、夫が一所懸命髪を整え、その横で私が、白髪が増えてきただの何だと言っています。夫が自分の髪を触りながら私に、「でもあるだけいいじゃないか」と言います。その夫を、私はとても愛しています。しかし私は今日の夫の髪の毛の数を、私は知りません。自分自身の髪の毛の数も知りません。しかし神様はそれを全部ご存知であって下さる。それほど私を慈しみ、見守って下さっている。そんな方が、この世界におられるのだ、という事が衝撃でした。暗闇の孤独の中にうずくまっているような私でしたから、そういう私に神様の光が差し込んできたのです。そして私はどんどんと神様に吸い寄せられていって、36年前のイースターの早朝、新しい命を頂いた訳です。
昇る朝日がとても美しい中、この自己中心で人を愛せない、どうしようもない私の罪を、イエス様が十字架に掛かって私を罪を一緒に滅ぼして下さって、そして死から甦って、新しい命に生きて行きなさいと、その素晴らしい復活の命に入れて下さった、その喜びで涙が止まらなかったことを、昨日のことのように思い出します。それから36年は色んな事がありました。14年まえには、父が死の三日目に救われました。また6年前のクリスマスに母が、そして昨年のイースターに夫が救われました。また生徒さん達、友人達とかが、教会に集い始めたり、また洗礼を受けたり、色々な素晴らしい事が起こっています。神様は本当に恵み深い方です。しかしクリスチャンになったからといって、皆さんもご存知の通り、試練が無くなるわけではありません。今年に入って、お正月に夫が大病にかかり入院し、冬から春に、私以外の家族全員が病気になるという事になってしまったのです。私は本名は貫井と申しますが、貫井丸乗組員全滅状態でありました。私だけが働ける人でした。本当にどうしようもないと思いました。けれども何か不思議な平安があったのです。それは何かというと、よく考えてみると、貫井丸の最大の難所であったのですが、その舟にイエス様が乗って下さっていて、いざとなると、風を叱り、波を鎮め、そして私が波間に沈みそうになると、手をもってしっかりしなさいと引き上げて下さる、そのイエス様が共にいて下さる、それが本当に嬉しくて、慰めで、支えでした。ポール・トゥルニエという人が、クリスチャンの人生を、「生の冒険」、生きることの冒険、と言っていますが、私はやはり、これも神様と一緒の冒険なんだと思い、その時に上から大きな力を頂いたことがとても嬉しかったのです。
先程紹介を頂きました、世界中、ケニアやブラジルやアジアの奥地まで、音楽の中、賛美の中に住んでおられる神様を伝えに、音楽伝道者として遣わして頂く、それが私の召命なのですが、ずっと若い頃、神様に出会う前は、自分の名誉のために、自分の能力のためにフルートをふいていた、そんな部分がったかもしれません。しかし今は、本当に恵み深いこの神様の愛を、音楽を通して、世界中津々浦々に、今はコロナでストップしていましたが、その間にレパートリーも広げ、信仰を深め、虎視眈々と準備をしながら日々を送っております。
神様に心から感謝致します。
讃美「あなたに」
あなたの 心の叫び聞かれる 主イエスは 愛の手広げて 今も待っておられる
明日でなく 今主イエスの 御手の中で安らごう 十字架で死なれた 主はいのちをあなたに
演奏「安けさは川のごとく」(新聖歌252)
この曲は、アメリカのスパフォードという実業家によって作詞されました。スパフォードは、とても恵まれた人生を歩んでおりました、事業も成功していました。しかし1870年ぐらいから、彼の人生に色々な災難が襲います。まず何人かいた子供の一人が天に召されます。また、シカゴの大火で家財の殆どが焼失してしまいました。でも家族皆で元気でいれば何とかなると、思い切って皆でヨーロッパ旅行を計画したのです。そして船に乗ってまさに出かけようとした時に、スパフォードに急に仕事の連絡が入りました。スパフォードはやむなく、「先に行ってなさい、後から追いかけから」と家族を送り出しました。その家族が乗った船が、イギリスの汽船と衝突して、あっという間に沈没してしまうのです。200人以上の方がなくなったと言われています。スパフォードの娘さん4人も亡くなりました。奇跡的に助かった奥様を、スパフォードは急いで船で追いかけました。そして船が事故現場を通過した時、スパフォードの思いはどのようなものであったでしょうか。嘆き、悲しみ、怒り、そういったものであったでしょうか。不思議な事にスパフォードの胸の奥から広がってきた思いは、神様が共におられるから大丈夫、という思いであったのです。亡くなった娘4人も神様が御手に握って下さったのだから大丈夫。自分たち夫婦もこれから大変だけれど、神様が共に歩んで下さるから大丈夫。その不思議な平安が彼の心を満たし、溢れさせました。その時に書かれたのが、この「安けさは川のごとく」の歌詞なのです。1節を読みます。
「安けさは川のごとく 心浸す時 悲しみは波のごとく わが胸満たす時 全て安し 御神共にませば」。
演奏「歌いつつ歩まん」(新聖歌325)
主のすがるわれに 悩みはなし 十字架の御許に荷を下ろせば
恐れは変わりて 祈りとなり 嘆きは変わりて 歌となりぬ
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ 歌いつつ歩まん この世の旅路を
司会者:中村和司牧師
<ルカ23:56b~24:8>
56 婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。24:1 そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。2 見ると、石が墓のわきに転がしてあり、3 中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。4 そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。5 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。6 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。7 人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」8 そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。
3節に「主イエスの遺体が見当たらなかった」とあります。今はウクライナで大変な事が起きている訳で、ニュースをよくご覧になると思います。しかしロシアでは、全く逆の報道がされている訳です。そしてよく、フェイクニュースの事が語られます。嘘八百と言いますが、本当に何が真実が本当に分からない世界になって来ています。しかし現代人から見るならば、最も嘘と思われるような、イエス・キリストの復活が、今も信じられ、この朝も世界中の教会で、キリストの復活が祝われています。人々は、キリストの復活を科学的に証明できるのですか、と問うかもしれません。しかし、未だにキリストの遺体、骨は見つかっていないのです。
5節に天使の言葉が記されています。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」。神はいないという人達は、目に見える世界しか信じません。しかし今や、目に見えるものほど当てにならないものは無くなっているのです。目に見えるものが人を生かすのではありません。目に見えないものが人を生かしていくのです。生きて行けなかった紫園香先生でした。私もそうでした。目に見えるものが人を生かすのではない、目に見えないものが人を生かしているのです。
6、7節で天使は、「お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」と語り、8節「そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した」とあり、神の言葉に目を向けるように言われているのです。何が起ころうが、天変地異が起ころうが、御言葉の通り、主イエスの十字架が実現しました。それは事実です。そしてその御言葉の通りに、主イエスは三日目に復活したのだと聖書は告げているのです。そして信じる者の内に生きて下さる。ですから、紫園香先生は生かされ、この私も生かされ、そしてあらゆる人がキリストを通して生かされているのです。この事実が、今もキリストが生きておられる。キリストの復活を証明しているのではないでしょうか。お祈りしましょう。